今週のあれこれ
カレーの新作を出した。
ここ最近「海外カレー売りたい!」みたいな話が多くなってるけれど、これはプロダクトアウトでもなく完全な自己満足。
そんな事ばっかりしているとそのうちお客さんにそっぽ向かれてしまうので割とリクエストの多かった出汁カレーを新作として出した。
『タラとかぶらの和風だしカレー』というのを作った。
大阪では数年前から出汁系のカレーが流行っていたの。お店始めるまで全く興味が無く、美味しいカレーが
作れる気しなかったので、手をつけてこなかった。お店始めてから改めて出汁系のカレーを食べると
「やっぱすごいなー」と見直し、店でも「鶏とアサリの出汁カレー」というのを出した。
今なら出汁カレーに対してのリスペクトもあるので、いいの作れるかもしれないという事で、先月、試作をいくつか作り
今週出してみた。
ウチの店は割とクリーム系のカレーとスパイスがしっかり効いたキーマやチキンカレーが好みの人にはっきり分かれるので
それらと比べると、もう一つパンチが弱い気がしたので、結構挑戦だったがおおむね好意的に受け入れられた。
出汁カレーのお客さん
面白かったのが、出汁カレー目的のお客さんが一定数存在するということだ。
鶏とアサリの時もそうだったのだけれど、「出汁カレーだから食べに来た」という層のお客さんが確実に存在する。
そういうお客さんにとってはちょっと物足りなかったのではないかとは思った。
一発目としては合格点だとは思うので、まだまだブラッシュアップできそう。
ウチの店の商圏は北摂エリアだととらえている。常連さんを除いたペルソナははっきりしてて
「普段は家のルーのカレーを作り、大阪市内まで食べに行くほどでもないけど、庄内に用事があった帰り寄った主婦」もしくは
「普段は奥さんの晩御飯を食べてるけれど、今日は奥さんが飲み会なのでたまには外食で美味しいもの食べたい」と思っている30代のサラリーマン。
キーマやホタテのクリームカレーを食べたくなって、伊丹、茨木、箕面と近隣の街からリピートしてくれる人はいるのだけれど、
この出汁カレー目当だと美味しいと言ってくれるお客さんはいても近隣の街からわざわざこのカレーを目的にリピートはしてもらえるかは微妙なライン。
『美味しいんだけれど、まだ何かが足りない。足りないのはわかっているけれど、何が足りてないのかがわからない』といういつものヤツ。
まぁ週替わりで出しているエビココナッツなんて、完全にウチの個性が出せたと思えるようになったのに2年かかったし、鶏とアサリの出汁キーマも最終の微調整せずに
出せるようになるのに1年はかかってる。
かぶらがいつまで市場に出ているかわからないけれど、今年は出汁カレーに力入れていくぞ。
・差別化が大事
少し前に話した2020年にオープンして知り合ったお店閉店が続いているという話をした。
今月新たに2店舗閉店した。
これでちゃんと数えてみると自分を含めてスモールビジネスで始めた店6店舗中生き残っているの自分の店だけになった。
『飲食店の70%は3年で閉店する』と言われているがかなりデータに近い数値になった。
twitter上で知り合った店が多く、SNSの中でもtwitterにコミットしている人が大半で、フォロワー1000人くらいのアカウント
の人が多かった。ので、オープン直後はコロナ禍でも満席の店内の写真をアップして繁盛しているように見せ、『満員御礼
!』とか、『今日は○○人来てくれました!』みたいな投稿が多く、
(ウチの方が手間かかって美味しいんだけどなー)と嫉妬したりもしたが、1年、2年と経っていくうちにそれらの店の投稿は勢いがなくなっていった。
自分の店は初期の頃から苦戦していて(何でお客さんは来てくれないんだろう?どうやったら喜ばれるんだろう?)
と常に考える癖がついて、毎週作戦立てたりしてたのでここら辺にちょっとずつ違いが出てきた気がする。
少し前に失敗する店の特徴を書いた。
新たに気がついたのが知り合いでうまく行かなかった店は、「最初から小さなコミュニティを持っていた」という事だ。
初期の段階である程度お客さんが来て、半年くらい忙しくしていると、お客さんが減り始めても違和感に気づきつつもすでに少しの成功体験と
営業の型が出来上がってしまって大がかりな修正ができていないのではないか。
そういう時期には隣の芝生がとにかく良く見えて、自分以外の全ての店がうまく行っているような錯覚する。
ネットから「○○でうまく行きました!」みたいな話を引っ張り出したり、いろんな人にアドバイスを聞いたり見たりする。
初期の自分も正にそんな状態だったのだけれど、幸いだったのが相談できる人が近くにいて、話聞いてもらうだけでもずいぶんと頭の中が整理された。
完全に一人でやってたらパニックになってる。多分うまく行かないお店は、周りの店を気にしすぎたり、他のお店の成功体験から答えを探してしまうんじゃないか。
お客さんの声に耳傾けたり自分の店の価値や商品としっかり向き合わないで他に安易な答えを求める結果、勝手に自滅してってる気がする。
根っこにあるのはみんな不安の感情なんだろうな。
ビジネス本なんかでは
「差別化が大事」
という話をよく聞く。
アレ、最初に言い出したヤツ誰だ?
おそらくはすんごく成功した誰かに対して
「どうやって成功したんですか?」
と誰かが聞き
「う~ん、そういえば・・・」
と後付けで話し出した事なんじゃないだろうか。
いきなり廃業率70%を生き残った同業他社を見てばっかりいると、足りてないところばかり目について不安になって、自分の店の価値がわからんぞ。
お客さんの声を聞いて、自分の店の特徴を掘り下げた結果、はっと顔を上げて周りを見渡したら個性のある店になっている印象。
これが営業3年目前の実感。
・Facebookに日記アップした
先週もnoteに日記を投稿した。
どうもnoteに投稿した翌日に恐らく読んで来たであろう常連さんが何人かいたので、リーチは少ないが深く刺さるメディアではないかと思い、
今週は去年末に書いた「お酒売るのやめました」という文章を修正してアップした。
今回は、「コアなお客さんに自分のやってる事の考えをアナウンスする」というテーマにした。この日記に関しては今週考えた事ややった事を最優先に書いているのだけれど、
noteの日記に関しては少し前に書いた文章を引っ張りだしてもよさそうだ。一度書いた文章なので、多少は構成を組み直して修正したけれど、そんなに時間はかからなかった。
これまでtwitterで営業日に毎日簡単な営業日記を書いていてそろそろ600日になる。140文字という制限がある中で自分の伝えたい事を伝えるのは難しく
200日目くらいで、何か方法はあるのだろうけれど、このコンテンツは向いてないなぁと思い始めた。
twitterをやってみると『140文字の大喜利』みたいな所があり普段使った事ないのにtwitter上だけ
「○○しか勝たん」とか「優勝しました!」みたいなキャッチ―な言葉を自分が使うのは気持ちが悪い。
若い頃、いい年したおっさんが「イケてる」とかいう言葉を使うのを耳にするたびに自分の言葉に出来ていない
違和感を感じ、エエ歳したおっさんが気持ち悪ぃなぁ~と思ったものだった。
ので、twitterはフォロワーを増やす事は早い段階で諦めて、常連向けの営業日記と方向転換したのだけれど、noteは
『こういう考えがあってこうしました』
としっかり発信できるツールとして便利でだ。リーチしている数に囚われていたが、この日記だって読む人は読むし、読まない人は読まないという当たり前の事に気がついた。
先週Facebookにも投稿した。内容は一週間前に投稿したものだ。
Facebookの通知は最近グルメ系のコミュニティーの(○○へ行ってきました)みたいなものばっかりなので週1回くらいしかちゃんと見てないないので
投稿した事3日くらい完全に忘れていた。
・・・Facebookにアップした一番の収穫はここだろうと思う。
『夢の話』という内容で、ここ最近の日記の中でも結構恥ずかしいトピックで、お店始める前だったら(関係の浅い知人に読まれたらどうしよう)みたいに気後れしたものだけれど、
何とも思わなくなっていた。
小学校に入った頃から他人と違う事する事に対しての羞恥心が強かった。
「みんなと同じじゃないといけない」と心に誓うのだけれど、工作の時とかは自分の妄想に取りつかれてしまい作品が完成する頃には周りと
あまりにも違うも個性的なものを作る事がよくあった。その度に「またやっちゃったー」とみんなと違う事に対してすごく恥ずかしくなった。
教室の後ろの壁に展示され、参観日の日なんか友達のお母さんに発想力をホメられるのだが、吊るし上げにあってる気にがして泣きそうになった。
「人と同じでなくてはならぬ」という気持ちと「でもこうしてみたい、やったらきっと恥ずかしい」という気持ちの中で常に葛藤する。
旅するときも「鹿児島まで行く!」とか、「オーストラリア一周します」とか、直近だと「カレー屋やります」とか誰かに言いだす時は
最初結構恥ずかしい。
夢の話書いた時も、noteに転記した時も(本当は恥ずかしいんだけどなー)と思う。
学生や社会人長い事やって後天的に身に着けた常識も、40超えてこんな事言いだすんだからもうムリなのだ。
振り返ってみると(恥ずかしいんだけれどな~)と思いながらも自己開示した時に、割と周囲の人は受け入れてくれて物事が動きだす事がよくあった。
今回もFacebookに「海外に売りに行きたい!」と発信した時点で最終的にうまく行こうが行くまいがほぼ勝ち確だと思っている。