旅するカレー屋

 初めてカレーを自分で作ったのは25歳の時でした。
元々旅するのが好きで、カレーを初めて作ったのは25歳の時。海外のゲストハウスの共用キッチンで、コーラのごっちゃ煮にしたものに最後にカレーパウダーを入れて、『カレー』と言って、他の宿泊者に食べてもらうと好評でした。
日本では実家暮らしだったので、全く家事もした事なく、海外で生活費を抑える為に自炊した初めて作ったカレーはパウダーを使いました。

 お金が無く帰国できなかったのでビザが切れるタイミングで隣のニュージーランドに行きました。入国した時には全財産が3万円。いろいろ旅先で働いたりはしたのですが、途中でお金が尽きてしまいました。全財産が日本円で6000円~7000円。当時、ニュージーランドの物価は日本より少し安いくらいだったのでもちろん生活できません。宿のオーナーにパスポートを渡して宿代の支払いを待ってもらい、。

 

ひとまず一週間分の食料を作ったのがカレーでした。町中で仕事を探しても見つからず途方に暮れていたので、カレーを作りたかったというよりも、無心で玉ねぎを飴色に炒めたり、煮込んだりして現実逃避のつもりでしたすると、夕方思いもよらない事が起こりました。
 泊まっている宿泊者は割と出稼ぎに来ている期間工や旅行者でした。
 みんなお金を稼ぎに来ているので食生活は質素、共用のキッチンでは美味しそうなカレーの匂いが充満しており、
 欲しいとは言われないまでも熱い視線を感じたので「レードル1杯2ドルであげるよ」と言い、何人かに配るとカレーの材料費が賄え、
 3日目くらいからは宿代が少しずつ払えるようになったので次の仕事が見つかるまで食つなぐ事ができました。

 そのカレーが、今お店で出している『命のカレー』(牛スジスタウト)の原点となっています。

  ニュージーランドでお金を貯めてから、東南アジア、インドも旅行しました。仲良くなったインド人の家でお母さんにカレーの作り方を教わりました。当時カレー屋になりたいなんて気持ちは全く無く、やる事なくてヒマつぶしがてら見せてもらいました。

 一応作り方を聞いて「クミン何g、ターメリック何g・・・」とメモをとるのですが、「だいたいでいい」というような回答でした。(何をてきとーな・・・)と思いはしたのですがちゃんと理由あるようで「毎日味が変わった方がいい」といったような事を言われ「なるほど、そういうものか」と妙に納得したのを覚えています。刺激的なインドの旅行の中では
本当に些細なエピソードの一つで当時は『旅』がメイだったので、今となってはもうちょっとちゃんと教わっておけばよかったと後悔しています。
  その時教わったのはインドの家庭的なチキンカレー。
 当時食べたものとは完全に別物になってしまいましたが、それが現在の『スパイスカレー』になっています。

  当時はまさか自分が将来カレー屋をやっているとは想像もしていませんでしたが、帰国してから
 友達の家で作ったり、フリーマーケットで出してみたりしているうちにお店がやりたいと思うようになりました。
 これらを結ぶ体験が『旅』であり『旅するカレー屋』としています。

旅とカレー

人生で初めて旅をしたのは学生の時でした。
ヒッチハイクで東京まで行って当時、「やってみたいなー」と
思いながら本やテレビでしか見た事がなく、実際できるのか半信半疑でした。
家から一番近い国道で親指を挙げる時、異様に恥ずかしく、1台目に乗せてくれたのは京都の人で大阪を出れただけでも嬉しく、
1日目に滋賀で野宿して、2日目に一気に東京まで行けました。東京駅の前で
降ろしてもらった時にはそれまでに経験した事のない達成感を経験しました。
 その次は北海道まで行ったり、鹿児島まで歩いたり、ママチャリで鹿児島から大阪まで帰ったりもしました。
 次第にヒッチハイクで旅をする事に何か物足りなさを感じるようになりました。

出会う人や初めて行く場所はもちろん楽しかったのだけれど、何か満たされない。

もう200台近く車に乗せてもらっていたので、コツというか、乗せてもらえそうなポイントがわかるようになっていました。
 スキルの向上の代償に初めて旅した時の「どうなるかわからない」ドキドキやワクワクが無くなっていきました。もうクリアしたゲームをいつまでもやっているみたいな感覚なのだけれど、乗せてくれる人の何人かにはどうやら頑張っているように見えるらしい。ごはんを食べさせてもらったり家に泊めてもらったりして、良くされる事がだんだん億劫になってきて、その時以降日本ではヒッチハイクをしなくなりました。

 旅の道中乗せてもらった人は東南アジアを旅した事のあるバックパッカーが多く、
 海外なんて怖くてとても行く気がしなかったのだけれど、
 「ヒッチハイクより東南アジア旅行する方が簡単だよ。君やったら絶対向いていると思うよ」
 と何人にも言われ関心は海外に向きました。
 初めて行った海外はインド。文化や価値観が全く違って毎日刺激的で楽しかったのだけれど、一つ心残りがあり
 変な旅行者が多く「英語が喋れたら、もっと面白いんだろうなー」と思いその次はオーストラリアに
 行く事にしました。

  

紆余曲折あり、ここでもヒッチハイクで一周する事に。
 日本で散々やってきたヒッチハイクだったのだけれど、事情が全く違い、一つ一つの町の距離が長い。隣町まで100㎞なんて事はザラにあり1台で乗せてもらった距離は1000㎞(東京~福岡間)を超える事もありました。

日本でヒッチハイクしていた時は、乗せてくれた人の目的地と違うと
 「どこか適当な所で降ろしてください」と言って、多少歩けば近くの町にいけるのだけれど、
 オーストラリアでそんな事を言うと360°地平線といった何もない所で降ろされる。

 刺すような強い日差し。見渡す限り自分以外に動物はいない。
 何十匹もまとわりついてくるハエ。日本の3倍くらいある赤いアリにビニールを食い破られ手持ちの食料を狙われ、
 頭上をハゲタカが旋回し始める。 水の2リットルしか持ち歩いてないので、とても歩いて隣町まで行けない。夜は冷え込むので何日も野宿してられないだろう。
 降ろされた場所によっては車も1時間で2,3台しか通らない事もあり、かといって乗せてくれる人がもしサイコパスな変質者だったらそこで全部終わってしまう。車が通るのを待っている間、ある事に気がついたのでした。

 「同じヒッチハイクなのに国内では『旅行』と思っていたのに今は間違いなく『旅』をしている。この違いは何だ??」

 物理的にA地点からB地点へ移動する時、それがちょっとした非日常だったりしたら『旅行』とか『旅』とか言ったりする。
 英語なら『trip』でも『journey』と言ったりする。
 自分がちょっと東京に遊びに行くなら『旅行』だし、小学生がおばあちゃんに一人で東京まで会いにいくのならきっと『旅』になる。
 その人の気持ちの在りようで、きっと『逃避』と『追求』の違いなのだろう。
 
 解釈は人それぞれだけれど、自分の『旅』とは物理的にA地点からB地点に移動するだけではなく、海の中の深いところまで深く深く追求してくイメージ。

 つまりは

 『旅するカレー屋』

だと思っています。