一人旅のススメ
トヨナカサマセミ
8月の18日に庄内のショコラで話をする事になった。
サマーセミナーという一日イベントで登壇する事になる。
地元で頑張っている市井の人を『センセイ』と読んでフリーのテーマで45分程授業する事になった。
今回豊中でやるのはその一回目だ。
実行委員の中にウチのデザイン全般やってくれている太田さんから声がかかった。
普段とてもお世話になっているのが理由の一つ。あともう一つは一年に一個、何かやった事ない事を
やるようにしてたのでちょうどよかった。
しかし一体何の話をすればいいのか。
パッと思いつくただけで、
・無借金、初期費用60万円でのお店の始め方
・コロナ禍、弱小個人事業主のサバイバル戦略
・はじめてのスパイスカレー
みたいなカレー屋さんの話はできるが、聞きに来る人によっては全然刺さらないぞ。
基本的にプレゼンとかする時は
『誰に何を伝えるか?』
がポイントになってくる。
当日どんな人が来るかもわからなかったので、実行委員長をしている上芝さんに相談すると
「当日お祭りがあるんで、あんなり年齢層は高くないと思います」
となるといよいよ何を話せばいいのかわからなくなる。
起業の話や、経営の話は商工会とか、セミナーでは好まれそうだけれど、地元のお祭りと抱き合わせのイベントでは相性が悪い。
「旅の話とかいいんじゃないですか?」
旅のエピソードは断片的なものはお客さんや友達に話す事はあったけれど、よく考えたらちゃんとまとめた事なかったのでいいかもしれない。 という事で、『一人旅のススメ』というタイトルがパッと思い浮かんだのでそれでいく事にした。
ヒッチハイク
最初に一人旅をしたのは20歳くらいの時で、ロバート・ハリスという作家の本が好きで自由でアウトローな生き方に憧れて「いつか旅してみたいなー」と思うようになった。かといって自分は海外はおろか一人でどこか遠くへ行った事もなく、就職して東京に住んでいる友達の家に遊びにいくのにヒッチハイクしたのが最初だ。
親指を揚げる例のアクションをする訳なんだけれど、近所の国道で始めたので信号待ちの車の運転手と目が合うのが何とも恥ずかしい。ダメなら夜行バスで行くつもりだったが、開始1時間ちょっとで1台目の車に乗せてもらえ、翌日の夜には目的の東京に到着。東京駅で降ろしてもらえた時には達成感や充実感で身体中が震えた。
よく考えたら、それまでやりたい事や欲しいものの大半は友達やテレビの影響を受けていて、自分で考えて「これやっていみたい!」と思って実行して達成するという経験は初めてだった。結局東京までは1日野宿しただけだったのだけれど、とてもいい旅だった。
その次は就職活動していた時期に北海道まで行った。
就職活動をしていた時期で当時就職氷河期と言われていたものの、割と順調に1次2次と通っていった。
特別やりたい仕事でもなく、普段は終わらない夏休みみたいなダラダラした学生生活を送っているのに、就職活動中は「御社は、貴社は・・・」と立ち振る舞っている自分が妙に白々しく、ずっともやもやしていた。
「よし、旅にでよう」
思い立つと行動は早く、二回目は北海道を目指した。
この時もヒッチハイクで、下道で一カ月かけて北に向かった。
乗せてくれる人は割と変わった人が多かった。多かったのは「昔僕もヒッチハイクやった事あるんだよ」
という元バックパッカー。ヤンキーや反社っぽい人もよく乗せてくれた。営業をサボっている人や旅行中のカップルと、様々だったが、
共通しているのは割と気持ちにゆとりがあって芯のある人が多かった。
これまで関わって来た大人と少し雰囲気が違い、「こういう大人になりたいなー」と思えるような魅力的な人達だった。
就職対策のセミナーでは就職の仕方や有利になる情報は教えてくれるのだけれど、知りたかったのは「どうやって生きて行けばいいか?」という本質的な生き方だった気がする。
なので就職は諦めてしばらく旅する事にした。
初海外はインド
その後も国内の旅をいくつかやって乗せてくれた元バックパッカーの影響で海外に行きたくなった。
初めて行ったのはインド。空港に着くやいなやスリに遭ってしまい、到着僅か数時間で無一文になってしまった。
3日後くらいに親切な日本人に3万円を借りる事が出来て結局約1カ月半かけてインドを一周した。(当時は3万円でもそれくらいできた)本場のインドのカレーは水っぽいし虫入ってる事あるし、そんなに美味しいものでもないなーと思ったものでカレーに関心はなかった。
ちょっと仲良くなったインド人にカレーの作り方を見せてもらったりもしたのだけれど、初海外で刺激的な体験が多く旅の土産話にもならない本当に小さなエピソードの一つだった。
一周を終えた頃にすごく歯がゆかったのが、インドの旅行者は変な人が多かったのに、英語で話がいまいち理解できないかった。
「次は英語おぼえたいなぁ」
と思い次は英語圏で長期の旅したいと考えるようになる。
カレーの原体験
お金を貯めて次はオーストラリアで一年過ごし、その足でニュージーランドへ行った。
正確には日本にお金が無くて、到着時には住所不定で全財産が約3万円しかなかった。仕事をさがしていろいろすったもんだがありながらお金が底をついてしまう。
仕方ないので泊まっていた宿のオーナーにパスポートを質草に土下座して6~7000円で1週間分の宿代を滞納し、ひとまず一週間分の食料を作ろうと思いカレーを作る事にした。
安かったので、カレーを作ったというのはもちろんあるけれど、どちらかというと別の目的があった。カレーを作るときに玉ねぎを飴色にする必要があるのだが、海外で住所不定無職の状態で全財産が6~7000円くらいしかないとなると結構参ってしまう。そこで玉ねぎである。
少なくとも玉ねぎを飴色にしている間は真っ暗闇な自分の未来を考えずに済むのだった。お金が底を尽きた少し先の未来の事を考えるのは精神衛生上非常に悪い。
無心で玉ねぎを炒めたのだった。
すると夕方思いもよらない事が起きた。
泊まっていた宿には自分と同じように働きに来ていた旅行者や期間工しかいなかった。みんなお金を稼ぎに来ているので、生活は質素、ご飯はサンドイッチに簡単なスープ、やインスタント麺といった簡易なものが多かったそんな中、ゲストハウスのキッチン内はカレーのいい匂いが充満した。
みんなの目線を感じるのだけれどあげれない。みんなも自分が金ないのを知っているので「欲しい」って言えない。
折衷案として「金ないからおたま一杯2ドルであげるよ」と言うと、その日何人かが買ってくれて気がつけばカレーの材料費が賄え、数日後には宿代が払えたのだった。
今こうしてカレー屋をしている訳だけれど、あくまでカレーは旅先で体験してきた数多くある引き出しの1つに過ぎなかった。
こんな事になるならもっとカレーの勉強しときゃあよかったとは思うのだけれどその時はまさか自分が将来カレー屋になるなんて思ってもいない。
学生の頃「どうやって生きていきゃあいいのか?」みたいな問いを割と真剣に考えたが、机上で考えるより旅先でいろんな経験をした果てに今はカレー屋をやっている。なるようになるのである。
お店やってると若いお客さんで1,2年で仕事やめちゃったり、辞めようか悩んでいるお客さんがやって来る。
「就職失敗した」みたいな話をされると、
「自分が初めてカレー作ったの25歳の時だから、まだ始まってもないよ」
とアドバイスしている。
・・・そろそろ話す内容考えないとなーと、売れっ子漫画家の気分になっていると運営から当日の資料が届いた。
そこには当日の時間割が書かれていて、既に自分の授業の説明文が書かれていた。
『世界を旅していたら今の仕事に繋がったというカレー屋店主の体験記。やりたい事がなくても大丈夫!とにかく旅にでよう』
サブタイトル見て一気呵成に書き上げた。
ここまで読んでしまった人はもう当日来る理由がないのだけれど、
ここからブラッシュアップさせて面白くなる予定なのでお近くの方はぜひどうぞ。